![]() 恋か窪 阿弥陀堂 傾城松 牛頭天王 回国雑記 恋が窪といへる所にて 朽はてぬ名のみ残れる恋かくほ 今はた聞くも契あらすや 道興准后 付注 遠景右端から:傾城松、八まん、富士見坂 中景:熊野(右端)、庵(熊野左手前)、東福寺(左) 手前左端から:あみた坂、阿弥陀堂、庵、こひかくほ(最手前家並) 野村コメント 右の遠景部分は、この方向(熊野神社北東部)に丘は実在しない。本来もっと右に描かれるべきものを図版に納める ために中央に引き寄せたものと思われる。 牛頭天は描かれていない。しかし、熊野神社北側を東に進んで西武国分寺線の踏切のあたりは「天王上」という小字 だった。つまり牛頭天、八幡、傾城松は、現在の日立中央研究所内の野川の源流の池(研究所が人工的に造った?) までの間にの松にあったと推測される。 富士見坂は天王上の北側ということになるが、その辺の現状は西武国分寺線から東のマンション街である。 東福寺後方の丘は、地元でX(エックス)山と言われている緑地と思われる。いずれも現状はさしたる山ではないが、開発 によって低くなったのではなく、雪旦が窪地をを印象づけるために強調したものと考えられる。 |