山吹の里は高田馬場より北の方民家の辺をいふ 昔太田持資江城にありし頃一日此戸塚の金川の辺に 放鷹す
 急雨遇ふて傍の農家に入り簑をからんことを乞う 時に内より小女出て詞はなく盛りなる山吹の花一枝をもて持資に捧ぐ
 こは後拾遺集に七重八重花はさけとも山吹のみのひとつだになきそかなしきとある兼明親王の和歌によりて答へたるにて
今も其才を賞し世に伝へて美談とせり