正平七年
隅田河合戦之図

 野村コメント:この図と次の「其二」をつなげて全体を理解していただきたい。
           この図の手前にある旗印から、こちら側が足利尊氏軍で、隅田川の東岸である。遠景の山形は筑波山であろう。
            雑学の「尊氏の渡河」で書いたように、どちらかという劣勢だった足利軍が夕暮れ時という幸運なタイミングで
          渡河できたので本格的な合戦に至らずに後の歴史の主役になりえた。
           陽の高いうちに足利軍が渡河して岸を離れていたら追撃の新田軍も川を渡ったであろう。逆に足利軍が隅田川
          西岸で一夜の陣を張っていたら新田軍に追い詰められて惨敗したろう
           此の図の手前の描かれていないところにどれほどの軍勢がいたかわからないが、右側で数人に囲まれている武将は、
          命からがら川を渡って仲間の励ましを受けているように見える。500年前の状況がどのように伝わっていたのか不明だが
          相当詳しくなければ描けない図である。