梅若丸七歳のとし 比叡の月林寺をのかれ出て花洛北白川の家に帰らんと吟ふて大津の浦に到りけるに
奥陸の信夫の藤太といへる人あきひとのために すかしあさむかれてはるゝゝとこの隅田川に来ぬることは本文に詳なり
 因に云ふ 人買藤太は陸奥南部の産なりとてい今も南部の人は其怨霊ある事を恐て木母寺に至らさること
矢口の新田明神へ江戸氏の人しかりて詣さるか如し