洗足池は、東急線が駅名に使うようになるまでは図会のとおり「千束池」が正式名だった。「洗足」は「日蓮上人が足を洗った」という俗説によるものである。 浅草の千束も、そこに「千束池」があったためである。では「千束」とは何を意味しているのか。私は「多くの約束」を表している、現代風に言い換えると「水利権が沢山ある」もう少し柔らかく言うと「多くの人の生活が懸っている」という意味ではないかと思う。 なお、俗説は「日蓮が入滅一か月前に病身を押して久遠寺から10日かけて池上に辿りつく直前に休んだ」と言うものだが、尾根ひとつ遠回りになるここをまわったはずはない。14年前の本門寺造営中に立ち寄ったことはあろう。が、足を洗うという日常的な行為に理由があれば言い伝えられようがそれもなく、同じ読み故の語呂合わせをしたに過ぎない。逆に日常的な行動でも言い伝えられるのなら各地にその地名があるはずである。 「袈裟掛け松」は、雪旦の絵では正しいが文は「腰掛け」である。俗説は江戸時代からあり、これを聞かされた斎藤氏は「病人なのだからせいぜい腰掛けた程度で、袈裟さえ纏っていたかどうか怪しい」と思ったのではないだろうか。人の背丈まで枝を低くしている松が「笠懸け松」と名付けられていて一般名詞化しているが、これが転じたものと言ってよいだろう。 さらに池を長東西三丁ばかり、幅南北へ五十歩としており、現状より長さ9割、幅3分の2と小さい。池沼は長年月の間に小さくなるものだが逆になっている。中でも幅の違いは誤差とは言えない。千束八幡は描かれた弁天とともに当時から存在したが触れられてない。 そしてこの地産で頼朝に調達された名馬池月に乗ったこの地域の御家人梶原景季が佐々木高綱と宇治川の先陣渡河を競ったことと、地名「池上」の「池」がこの池であることに触れていないことは、実地に調査したかどうかを疑わせるものである。 東急は、北千束駅の名を「池月」として開業した後馬の名を「生食」と書いている古書があることから「洗足池公園」と直したが、地元の反対で現名称にした。 |