図会で万年屋は、「奈良茶飯」とキャプションが付いた図版があるが記述はなく、「奈良茶飯」の説明もない。
 基本は煎茶で炊き上げたご飯に再度茶をかけて食べる食事で、炊き上がった茶飯の香りを逃さないよう蓋付きの碗に装われた。惣菜が少なくても急ぎの客などにはこれで礼を失することにならなかったし、豪華なもてなしの最後を締めくくるのにも使われた。江戸の町に流行し、芭蕉の好みであったと言われている。
 東海道を上る旅人には江戸の香りとのなごりが万年屋の奈良茶飯であり、江戸に戻ってきた旅人には旅の終わりを確認するものであったろう。図会には惣菜用のヒラメまで描かれており、いろんなレベルの奈良茶飯コースがメニューになっていたのだろう。

 実は私は古謡「お江戸日本橋」の2番にある「六郷渡れば川崎の万年屋 鶴と亀との米饅頭 ・・・・・」から米饅頭は万年屋で売っていたと思っていた。「米饅頭は鶴見川北詰の土産物で、奈良茶飯が万年屋の名物」と知ったのは六十の手習いどころかこの江戸名所図会探訪の六十五の手習いだった。