多摩丘陵南斜面の水を集めてきた鶴見川は、南から突出した小机城址の岡とここから東1kmの新羽の岡とに挟まれた狭い場所を通りぬける。そしてさらに東には東方向に流れるのを拒む大倉山の岡がある。地形が狭隘だとその場所で水位は上昇し、上流の水位をも引き上げる。また屈曲は、流水の速度を下させるとともに流水に働く遠心力で外側の水位が高くなる。 鶴見川は、この二つの氾濫要因が重なる小机城址周辺では大雨のたびに広く氾濫していた。一方で氾濫原は上流から運んできた栄養分が堆積した肥沃の地でもあったから、災害さえ無ければ農業上恵まれた土地であることは人類の文明を開いた世界各地の河川流域と同様であった。鶴見川上流の多摩丘陵が住宅地になる前から地域の人々は神に息災を祈りつつこの地から離脱はしなかった。 私が住んでいる地域を含むこの川の上流地域は、戦後急速に宅地化が進んだ。流出水量が一気に高まらないようにするための調整池がいたるところに存在している。しかし、流域での最大の被災地でもあり調整池でもあった小机北東部に大規模なサッカー場が建設されるに至って、河川管理上既往の対策を不要とするほどの技術的な対応が可能になったと誰しもが思うようになった。 加えて調整池の設置時期や設置の経緯によって管理責任や土地の所有権などの考え方が一貫していない。このため、住宅デベロッパーがいつの間にか権利を取得して開発計画を発表して紛糾している箇所や根拠に素人でも疑問を抱かざるを得ない行政の判断がある一方、廃止できそうな調整池でも「もめごとの種だから」と論理的な解決を先延ばしされている箇所もある。 |