私の推測では、ここの場合、洪水による大岡川の流路変更が契機と思う。村境としていた川が神社の反対側を流れるようになり、神社を擁していた村は新流路で耕地は減らされ、神社へは参拝しにくくなった。また災害から立ち直ることに必死で神社には手が回らなくなっていった。それに引き換え川が遠のいた村のほうは被災程度は小さく、神社の管理運営を引き受ける余裕があった。 神社の管理運営が移譲されるのは自然のなりゆきではあるが、人間のレベルで決したままでは後世「神様の御意向は違う」として宮出入り(神社の管理権争い)が発生するリスクがあることに気付いた知恵者が伝説を広めた。あるいは、被災した村の方から管理権移譲の前提として提案したかもしれない。 災害が無く平穏に推移した場合でも宮出入りは生じ、神社の移転は生じる。後から移り住んだ人たちの方が繁栄し、より華やかな祭礼をする力が付いてきた場合などである。格差を付けられた先住派には客観的に勝ち目はない。しかし、力で押し切ったっまま(の)では、地域にしこりは残る。双方とも神様のせいにすれば(御意向と言える口実さえあれば)納まりは付く。 |