本節の代表の図版「浦の郷」が、遠景の猿島をも含んだものでないことは確かであるが、描かれたどの部分が「浦の郷」なのかは示されていない。
現在の浦郷町1〜4丁目(たぶんこれが浦郷村の範囲)のうち、稜線の北側の4丁目(横須賀スタジアムの南の小学校と自衛隊宿舎用地が過半)だけが描かれているといえる。 疑問を解いてくれるシナリオは、「浦郷町4丁目が元来の<浦(の)郷>の中心地だったが、横須賀軍港整備の一環で稜線の南側に移転させられた」となるが、そんな記録には出会っていない。 室(ノ/の)木(村)は、図会はもちろん他の古文書でも武蔵の国としている。現地では横浜創学館高校と横須賀市営アパートの間の横須賀市追浜本町2丁目にある自衛隊宿舎4棟は、 高校北の横浜市金沢区六浦東1丁目にある3棟と共に「室ノ木宿舎」と表示されている。因みに、高校西にある神奈川県営追浜第二団地は横浜市の区域に建つ2棟は室の木ハイム、横須賀市の区域に建つ4棟は 追浜ハイムと名付けられている。また高校も市境を跨いで建てられているが、学校の住居表示は横浜市である。 一般的に行政界を跨いで建つ建物は、住居表示については建物の主要出入り口が属する区域となっており、固定資産税については属する面積に応じて負担するのが原則(面積の大きいほうという簡便化の例もある)となっている。 国や県は固定資産税を支払うのではなく、相応した交付金を両市に交付している。膨大な基地交付金を受け取ってマンネリ化している横須賀市は、積算資料の片隅に注記されているに過ぎないであろう「室ノ木住宅」 には気付かずに済ませているか、ひょっとすると横須賀市分を横浜市に交付しているかもしれない。 そもそもは、軍用地として地方行政区分など無視して兵舎を建てるなどの土地利用をしてきた背景があって、敗戦後の一般国有財産移行や払い下げの際に市境を意識しないで処理し、法務局の登記自体が間違ってしまっている可能性もある。 さらに家庭ゴミの収集などがどうなっているか調べるといろいろ出てくるかもしれない。 いずれにしても県のほうが国よりも地域の歴史などに神経を使っていることは確かである。この地域で両市の境は江戸以前の武蔵と相模の国境でもあるので、簡単に変更されることは無いと思われる。 しかし、目に見えない歴史の証と示されている看板などとが食い違っていると先人がなにを考え、どう行動してきたかが判らなくなる。 |