江戸時代の麹町は、2街区北の半蔵門から四谷までの甲州街道(かつては「新宿通り」と言っていたが、現在は「麹町大通り」と言うのが千代田区の方針のようである。)に面した所だけの細長い地域で、その北は番町で南は平川町だった。明治になって皇居を取り巻く一帯(ほぼ現千代田区から神田を除いた区域)の区役所が最も半蔵門寄りに置かれて麹町区と名乗ったので、麹町のイメージは拡大された。 また、図会は「貝塚」が麹町の別名であること、現平河町交差点への行き会い坂が「貝坂」と呼ばれていること、甲州街道から(甲斐:カイ)が連想されることなどを紹介しているが結論付けていない。 図会は触れていないが、太田道灌のころまでは「糀村」というのがあり、その語源は「国府路」だろうというのが千代田区の公式見解である。 |