この坂には、茶屋があったので茶屋坂と呼ばれるようになった。本文で書いたように図会は触れていないが、歌川広重の版画に登場する「爺々ヶ茶屋」はここだとのことである。
 落語の「目黒の秋刀魚」の殿様が立ち寄った茶屋もこれだということで目黒区は近くで「さんま祭」をし、目黒駅前では品川区(駅は品川区の地籍)が一週違いでやはり「さんま祭」をしている。
 「目黒の秋刀魚」は、「ねぎまの殿さま」に良く似ているうえに作者不明。初演も100年以上遡れるかどうかというところだが、明治まで実在した茶屋には家光の時代の幕府からの 書き付けも実在した(ている?)とのことである。

 改めて市街地図を見ると、「宮益町より目黒長泉律院へ行く道」は茶屋坂の前後、恵比寿駅方面から尾根に上って来る部分は防衛技研の敷地に塗り替えられ、茶屋坂の下では清掃工場の敷地の中に消えている。