太平洋戦争直前有料の向ヶ丘遊園とは別に市民向けの緑地公園設置を目指して川崎市はこの地域の土地買収を進めていた。ところが戦局の悪化で、食糧確保の国策に沿って一時的に農地として市民などに借地させた。戦後食糧事情が良くなって借地権者が山あいの土地を持て余しているのを知ったCCは、自作農創設特別法に該当すると農林省が解釈したのを受けて、権利を買い取って当時人気のゴルファー設計の会員制ゴルフ場にしてしまった。 川崎市は戦後残りの土地の買収と整備をしてなんとか公園としての体裁が整い始めたCC開業15年後になってCCに返還請求したが聞き入れられず、訴訟を起こした。提訴したとき川崎市長は自民党系の全国市長会長だったが、提訴直後に子息の不祥事が暴かれて失脚し、新市長には市職労の委員長が選ばれた。CCの会員は各界の錚々たる人たちであったから、裁判の弁護士には元最高裁判事が付き、マスコミも市長子息の不祥事よりもはるかに小さく取り上げただけだった。 裁判は長引き、17年後にさらにCCの営業を7年余り延長すること(合計40年の営業)を認めるなどCCに殆ど損失が生じない和解に至った。敗訴に等しい裁判経緯を辿ってみると、周辺の整備などせずに戦後いち早く農地の返還を求めるべきであったこととCCの動きを知ったら止めさせる行動をすべきことに市が怠慢だったことになる。これには市議会内の不統一も影響していたが、それにCCの働きかけがあったとの証拠は得られなかった。昭和46年には仮処分判決と現地での閉鎖代執行での門への板の打ちつけとが寸刻を争う状況だったなど、TVドラマそこのけの場面もあったのだが、和解であることと関係者が存命しているせいか往時を振り返る特集や番組はない。 私は、この和解例に照らせば、現在の国公有地の貸付状況では、類似の居座りや営業補償請求はいくらでもできると思える。特にお濠端の国有地で結婚式場を主力事業にしている明治以来の特例民法法人は、現在は特別職や現役の公務員が役員をしていることがブレーキになっているが、新社団・財団法人制度に移行したらどうなるのだろうかと思う。 私は、この裁判までは正義感を信念として仕事をしているのが司法の人たちと思っていた。現在もそう思っている人が多いと思う。しかし、今では法律をビジネスにしている人たちと考えるべきで、そのことを前提に裁判員制度にも対処して行ったほうが良いと思っている。 |