本文左上図の右端から図外にかけて中央自動車道は筒のようなトンネルに入り、抜け出て右にカーブしての高井戸インターで首都高速道路にバトンタッチをする。この筒状トンネルは、昭和40年代後半に南と北にある東京都住宅供給公社の烏山北住宅の居住者の猛烈な道路反対運動の結果環境対策として設けられたものである。 私は反対運動が起きる数年前にこの住宅団地の都市計画変更にかかわった。昭和45年までは、都市計画は内閣総理大臣が決定(実際には建設大臣が代行)していたからである。現在北に11棟、南に2棟になっているこの団地は、自動車道の区域を含めて「一団地の住宅経営」という都市計画が決定されていた。変更案は4棟の共同住宅を取りやめて道路公団用地とし、減少した供給戸数を少しでも戻すために南に1棟分の土地を付け足すというものだった。私は、11棟への縮小計画はどうにか都市計画と言える(計画標準に合致している)が、分断された2棟だけの区域は都市計画とは言えないと東京都の担当者に言った。 住宅団地への土地売却収入への課税を軽減するうえで都市計画決定は不可欠であったから、追加分を含め南側が都市計画から外れたら大問題になると都の担当は説明した。ならば南北が一体であることが明確な計画に直してくれと宿題を出したが、いつまでも回答は無かった。国の機関である道路公団は、地方組織である東京都住宅供給公社に高架下といえども一切関与させないのだろうか、でも都公社は地主なのだからと考えていた。宿題の答えを得ないまま別の部署に配置換えになってしばらくしてから、反対運動を新聞記事で知った。当時の上司に確認したら「あれは君がいないときに都のほうから話があって、関係したらややこしくなると思ってたからすぐハンコを押した」との返事だった。 私が期待した高架下の空間がどうなっただろうかと、立ち寄ったらフェンスで囲われ、側道にすら使わていない荒れ地のままだった。 |