奈良時代に淡路廃帝(淳仁天皇)の信頼を得て深大寺を栄えさせた満功上人抜きには、ここの名所案内はできない。 上人の母方の祖母は、虎柏神社に祀られた「虎」である。高貴の出の虎は夫右近の殺生稼業(猟師)を諌めて止めさせたが、一人娘(上人の母)の元へ通ってくる身分の賎しい福満(上人の父)を許さず、娘を池の中の小島に住まわせてしまう。福満は、玄奘三蔵が流砂川で行く手を阻まれたときに仏に念じ、深砂大王が現れて川を渡ったことに気づいて一心に祈願したところ、霊亀が現れて小島に行くことが出来た。福満が凡人ではないことを悟った虎夫婦は二人を許した。 福満夫婦は生まれた子を出家させた。修行して満功上人となり、海を渡って法相宗を得て帰国、父の願いで深砂大王を祀り、別当寺を設けた。創建に際しての五大尊の出現や薬師像の霊木の漂着などの奇跡を聞いた淡路廃帝は深大寺の名の入った扁額を与えたという。 平安時代に武蔵の乱を鎮圧した部隊(比叡山僧侶が主導)の基地としてこの寺が利用され(剣立の伝え、五大尊の勧請はその権威付けと思われる)、これを機会に天台宗になった(この一文は野村の推量)。 |