市は、「恋ヶ窪」の図版にないキャプションを加えてプラスチック板を設置している。 @ 原図では、阿弥陀堂左から下った阿弥陀坂の手前の家並みに「こひがくぼ」とキャプションしているのに、その部分をぼかし、「東福寺」の右に「恋ヶ窪」と打ち込んでいる。 A 原図では空間にしている部分に「姿見の池」と図会では触れていないものを書き加えている。(この位置に相当するという推量は悪くない) 以上の二つは、市が作るその他の資料の信頼性(改竄の有無)にまで影響する問題である。 現状に合せようとするのなら、この図版を見た誰もが抱く次の三点について、現状との関係を説明すべきだろう。 B 東福寺と熊野神社の後ろに描かれている八幡宮と傾城松。八幡宮は現存しないし、傾城松は明治以降に地元有力者が自邸に移植したとの説がある。 なお、図会は「八幡宮社地の傾城松」が畠山重忠が愛した遊女の塚印と伝えられていることに疑問を呈している。 C 最遠景に描かれている稜線に「富士見坂」がとあるが、現在そのような名の坂がない。 D 図版のサブタイトルにある「牛頭天王」が、描かれていない。明治の文豪の随筆に登場するようだが、その現状は不明。 富士見塚と旧鎌倉街道のあいまいさへの対応も、市の態度は良くない。現在では誤認説が有力とはいえ、巷間にひろまり、図会を含む資料も残されたという史実はある。 不都合なことや面倒なことは黙って蔽い隠し、無かったことにするのは、原発事故直後に民法の工作物設置者責任を放棄したいとコンプライアンス概念の無い発言をした東電と同列である。 堂々とあやまちが有ったことやその原因を示してこそ、あやまちの再発が防げるのである。 |