小野妹子、小野篁で知られている小野一族は、天孫降臨の際の随行神天下春命を始祖とすると(少し後の天皇と宮仕えの女との間の子との説も)云われ、信任厚く国造(くにのみやつこ)や国司としても全国各地に任ぜられた。 その際に任地に勧請して設営されたのが小野神社である。祭神は、天下春命や妹子・篁のほか農業の神が祀られている場合が多い。小野一族に恩義を感じていた国司等も小野神社を勧請したようだ。 多摩川右岸の一宮神社と左岸の小野神社は、元は小野牧をベースとした一つの神社だった。当初南に偏って流れていた(浅川−三沢川ルート)多摩川が、北に遷移して地域が2分され祭政を一体に行うのが困難になって二つの神社に分けた。 さらに国司は小野一族から替り、拠点も小野宮地区から移された。その結果、小野神社の求心力は弱まり、左岸の小野神社は特別な立場を貰いながらも新しい国司が進めた武蔵総社に参加することになっていったのではないだろうか。 |