北西から流れてきていた残堀川左岸の傾斜は河岸段丘とみられて立川崖線と名付けられていた。多摩川本流ですら削れなかった粘っこい関東ロームに段差をつけたのは断層帯と昭和40年代になって判明した。
 狭山池・筥の池を始めとしてこの平坦な台地上の残堀川沿いにいくつもある窪地は、貯水量は小さい。ローム層の地下浸透速度は遅いから、豪雨時には水が溢れる一方、しばらく雨が降らないとっているだけの砂川になっていた。
 残堀川は、多摩川が削った河岸段丘に到達すると雨の後には瀧のように流れ落ちるものの晴天が続くと急速に水が細っていくと言う現象が生じていた。これが「龍(タツ)が(多摩)川から天に上がる」現象と捉えられてタツカワと呼ばれやがて地名としてはタチカワとなったとする説がある。私も支持したいが、根拠不十分なロマンは公式には認められないのか、立川市の観光案内などにも見当たらない。
 玉川上水開削以来、米軍の進駐後までかけて残堀川はたびたび人工的に流路変更をしており、正確な滝の位置は判らないが、滝上滝口という地物名が現在は富士見町となった地域に残っている。