図会は寿徳寺を関戸入口道より右にありと書き、延命寺の項で寿徳寺より三四町南の方 道より右側と書いている。 方位、距離に間違いがなければ、大栗橋北の川崎街道付近にあったことになる。しかし、後述するように現在の寿徳寺は、山塊の反対側にある。 関戸という地名がその由来である小山田関旧址については誰しもが理解する。しかし旧址の位置について図会は、熊野神社付近の可能性が高いように記述する一方で横溝八郎墳墓は旧関の地より一町あまり西南と書いている。 現在の熊野神社は逆に5、6町南にある。山あいの関所ならば熊野神社付近であろうし、川の水運や橋を意識した関所ならば大栗橋北側になる。 寿徳寺、熊野神社、横溝八郎墳墓が移転していれば話はまた変わって来るがその形跡はない。 |