アーケードは、「傘をささずにお買いもの」「車を気にせず両側の店が覗ける」などから昭和30年代から50年代始めまで日本中の都市に設置ブームが続いた。 アーケードは、火災時には炎を横に広げる役割をするうえに消火活動の障害になった。商店の商品搬入用を含め交通計画・交通規制の難しさやメンテナンスの課題は地域のコンセンサスを必要とするものであった。それでも行政の要求する設置条件(基準)を(時に政治的圧力で)クリアして設けられた。 しかし、平成を迎えた頃から撤去ブームになった。歩行者天国の定着に伴ってスローガンは「青空(お陽さま)の下でのお買いもの」に変わっている。本音は商店主の高齢化により防火設備やアーケードのメンテナンス、深夜の商品搬入などの負担を街が背負いきれなくなっていることである。 大きくは大規模店舗の郊外立地のせいだというが、昭和末期から商店街自身が大型店の営業時間短縮を要求し自らも早仕舞をするようになったのが大きいと私は思っている。 「これでは残業帰りの共稼ぎ夫婦などの若者が通勤帰りに買い物ができず、街も寂れる」と通産省の小売商業政策を担当していた高校の先輩に話した。先輩の返事は、「商業者もゴールデンアワーのテレビを見る権利があるのです」というものだった。「飽きずに商売するからアキンドと言う」とのクラシックな言葉を返そうかと思った。しかし、当時周辺の住宅地開発の大得意様は職住分離を始めた商業者たちだったので開発を担当していた私は口をつぐんでしまった。 palという高円寺アーケード街には、負担や課題をカバーするだけの力が残ってているということだろうか。 |