夏目漱石の実家は、斎藤長秋の家と同様のこの地域の町名主であった。
 漱石自身が書き残しているようだが、明治になって漱石の父が町の名を夏目家の家紋(井桁に菊)から喜久井町とした。
 坂の名もそうらしいが、漱石は「坂のほうは有名になっていない」としている。
 日本では地名から姓が決まることはあっても、逆はかえって品格が下がるという認識であったから坂の名の方は返上したかったのではなかろうか。
 なお、図会には、馬場下南坂と書かれている。