図会の時代に神田川は既に整備されていた。この節で取り上げた俤橋以外の橋の記述や描き方から、これらの橋は神田川本流とは別の水系に架かっていたことになる。 姿見の橋は、左右は流れがないと書いているからひょうたん型の池のくびれたところのようである。右橋と奥州橋は流れには触れていない。名もない水田用水路であったにせよ、御城下の大切な神田用水の堰がすぐ東にあるのだから神田川からの取水ではない。 私は、前節の落合で神田川に合流させられる前の古い妙正寺川が、奥州街道に平行してこの辺までは流れてきていたのではないかと思う。 主流は取られても、旧水系は細々と用水路として残されたと考えて、ネットサーフィンをしてみたが出てこなかった。 |