明治維新を迎えての廃仏毀釈ブームで多くの寺院が檀家を失い、塔中や学僧を抱えていた寺はその扱いにも苦慮した。広い境内を抱えてその管理も大変だったから、農村部の寺などは村役場や小学校の開設に境内を提供した。神仏分離令で別当という格好のマネージャーを失った神社も同じような推移をしている。
 余力のあった宗派は、新政府が支援したクリスチャン系のミッションスクールに対抗して宗派の教育機関を設けた。現在では数の上で幼稚園を設けた所が多いが、これはベビーブームや生活の都市化を背景とした戦後の産物である。
 伝通院に設けられた淑徳女学校も動機に同様の要因を備えているが、境内を提供した伝通院野沢住職が賛同した創設者輪島聞声の理念は「進みゆく世に後れずに、社会の変容に適応する淑徳を備えた女性の育成」という宗教色の薄いものであって、仏教上の資格取得のための教育(尼さん養成)は行われていない。