因みに都県境になっていた白子川の改修工事は、新河岸川への合流地点から東埼橋まで2,650mを東京都が、その上流笹目通り西までの1460mを埼玉県が実施した。ネット上に公開されているその計画書は平成18年のものだが、施工時期は書いてない。私の手元にある昭和50年代の地図ではすでに白子川は直線化されて都の区域内を流れている。

 ところで「吹上稲荷神社」は、川の北岸だから、埼玉県の地籍にあったと考えられる。橋供養の碑には「成増」とあり、不動明王の碑には「新倉」とあるが、どこに奉納したかは不明確である。
 しかし、橋供養の対象の橋が当時からの道筋の成増橋であることはほぼ確かである。不動明王は断ち切ることの難しい煩悩を断つ手助けを祈願して設けられる。寺の境内でないところに置かれた不動明王はその地が断ち切り難い煩悩の根源の地であったことを暗示している。この地でのそのような煩悩は、橋供養と併せると水害であると思われる。
 白子川の旧流路はこの地点では新倉側に膨らんでいたから、川が暴れた場合には新倉により強く流れ込んだと推測される。成増の村人は自分たちに便益をもたらしていた橋が壊滅したことで橋を供養し、新倉の村人は大水害で失われた命や財産への遣る瀬無い悲しみと憤りを断ち切るために不動明王をこの地に祀った可能性が最も高い。

 その橋が東京都の工事で都県境から都内に移されることになった。東京都は埼玉県側の住民にどのような説明をしたのだろうか。埼玉県庁の役人には伝えただろうが、埼玉県もどこまで説明責任を感じていただろうか。都は埼玉の財産(少なくとも吹上稲荷神社と不動明王碑)管理に都の金は支出できないとし、埼玉県は補償義務のある工事をしていない以上都が補償すべきだとして都県境に放置されているのだろうか。