降り立ったふじみ野駅は富士見市の市域である。「ふじみ野小学校」も富士見市にあってふじみ野市にはない。1970年代から市の数で全国トップを継続している埼玉県で、上福岡市、富士見市、三芳町及び大井町の2市2町は、川越の南の一体の地域で、誰からも妥当な合併対象と理解され、早くから「ふじみ野」という新市名も人口に膾炙されていた。ふじみ野駅は、平成5年開業であるが、この地域は2市2町の合併後の新市役所の候補地として昭和50年代から土地区画整理事業が行われていた。駅名、小学校名はその延長上からだれ反対するもの無く決まった。
 にもかかわらず合併が実現しなかった責任は参加しなかった富士見市と三芳町にあって、「ふじみ野市」になった旧上福岡市と旧大井町には無かったように見える。
 しかし大井町は、合併構想の進展に併せて町の財政規模を無視したいくつものハコモノ投資を行ってきた。「財政が破綻する前に財政規模の大きな市に合併すれば負担は薄められる。」という平成の大合併の過疎地救済の論理に大井町が便乗していることに気づいたのが富士見市と三芳町である。吸収合併への大井町民の反対を薄め上福岡市の富士見市への優位性を得るために1市1町の合併に元来4市町の共有財産であった「ふじみ野」の名を先取りしたことや財政破綻前提の大井町の起債を認めた埼玉県の責任はなぜか論じられなかった。
 繰り広げられたそんな市民不在の政治的駆け引きを目のあたりにし、新ふじみ野市役所職員となった旧両市町の職員に使命感が形成されるはずはなかった。新市誕生から10ヶ月の日、旧大井町が設置したプールで学童が施設の不備から死亡するといういたましい事故が起こった。その後の市の対応も同様のリスクを擁している他への模範になるものではない。起訴された市職員には市のリードにより「管理問題より構造問題」としての減刑運動が起こり、市は被害者両親との示談成立に勢力を注いだ。「構造の問題」と言いながらその構造で発注した大井町の責任は引き継いでいないかのような対応である。
 こうして「ふじみ野」にはダーティなイメージが付いてしまった。

 当初の探訪でこれを書いたが、その後さらにプールのメンテナンスの委託先が元に復したとの情報が入った。