永源寺裏の崖の上の台地から南は久米村だった。ここを流れて志木市で新河岸川に合流する川の名は柳瀬川だが、図会の時代少なくとも狭山丘陵沿いでは村の名をとって「久米川」と呼ばれていた。現在久米川は都下の地名、駅名に残っているだけである。