所沢市の市章は野老(トコロ)の葉を図案化し、その周囲に三つの「ワ」を配置したものである。野老は山芋と同属の蔓生で葉が良く似ているが、食べられるような芋は付かず、髭根ばかりだからこの字があてられた.。 図会が文と絵で引用している廻国雑記の部分(「所澤薬王寺」の図幅参照)は、市役所のホームページでも引用して市章の権威づけをしている。しかしよく読んでみるとむしろ逆である。 引用部分は「ところ澤」と書いたうえで、歌の直前に「俳諧」と断っている。俳諧は戯(ざ)れ歌のことである。本当のことをそのまま歌にしたら戯れ歌にならない。 道興准后の廻国雑記は、地誌の役割をもつほどに地域の状況を的確に記しては歌を記している。そして他の部分で、歌の前に「俳諧」と断っている例はほとんどない。 つまり、福泉が野老を山芋(薯蕷)と一緒に掘ってきたのを見た道興准后は、地名では「野老澤」と書いていないことに掛けて酒を飲みながら「戯れ歌にしてごめんね」と歌にしたと理解される。 なお、「観音寺」は、観音堂のあった新光寺(この版では「真」光寺と誤記(彫り)している。)なのか山口観音堂の真光寺のことか不明である。 私は、穏やかな山に挟まれた谷筋を表す「ふところ沢」が訛って「トコロ沢」になったのではないかと思う。その沢と観音寺がどちらかは地元の地形に詳しい郷土史研究家にお任せしたい。 |