支配者による賦課は使役から始まり、漢字は「徴」(訓で動詞がメ・ス、名詞がメシ)をあてていた。生産物で代替する制度ができて同じ音の「調」(訓は動詞がツ・ク、名詞がツキ)と言い、御調(ミツギ)から貢になったものである。現代では調をツキと訓むことは殆どないからこの神社名は雑学の対象になる。
 図会は、延喜式神名帳にあるこの神社は、二度三度盛衰を繰り返し、家康が立て直したと書いている。私は調神社は延喜式以前に、ミツギモノの数量や荷姿を予め調べた公務所であったと推測する。塩の集荷所が起源と思われる一宮市の塩道神社(別ページの「塩尻」考参照)もその例である。
 日本神話では「太陽神=アマテラスオオミカミ、太陰神=ツキヨミノミコト」で、豊穣祈願のための神明宮(天祖神社)と月夜宮(月読神社)は各地に設けられた。調神社は盛衰の間にツキの音から周辺にあった月読神社と一体になって祭神が月読命になったものだろう。
 さらに別当が「月山寺」と名乗り、狛犬の代わりに月の使者の兎を配するに至って図会は今誤りてと記した。長秋の正義感にかかわらず、12年ごとの正月に大勢の参拝客を集める姿は現代でも続いている。