この神社は古くは現在の皇居の内堀と日本橋川の間にあって江戸庄柴崎村(竹橋付近)の鎮守様で大国主命を祀っていた。
 14世紀初期に他阿という時宗の遊行僧が寂れていた神社を将門と共に現在の三井物産ビル付近(大手町1丁目)の芝崎道場に祀ってから江戸城下の総鎮守になっていった。
 徳川家康の慶長の江戸大改造で駿河台に移され、10年あまりで湯島に移された。氏子は神田の商人などであったのでここまでが神田(神田川の外なので外神田)として扱われた。
 千代田区の地図を広げ見ると、ここからJR秋葉原駅周辺にかけての区域が皇居周囲のほぼ円形の形から瘤のように飛び出しており、地名にはしっかりと神田の二文字を残している。

 インテリ外国人に「Japanise Shrine」と言われて「Shinto Shrine」と正したつもりで説明するとますますややこしいことになる。神田明神の場合、明治政府は神道に悖るとして将門霊の合祀を外させた(百年以上経って復活)。祭礼の形態も神道系でなく祇園(釈迦入滅の地)系とされている。
 Shrineは元来個人崇拝の神社であり、「霊廟」ととらえておくのが妥当である。その意味では東照宮や浅草神社が無難である。明治神宮やまして靖国神社を案内するエリートサラリーマンはいないと思っているが…。