図会は、
坊舎三十五宇
と記している。寛永寺と徳川家との特別な関係を意識して各藩がスポンサーとなっていた。
戊辰戦争だけでなく、明治になって下寺町は鉄道用地になったし、関東大震災もあった。にもかかわらず寛永寺の西の上野桜木町とこの団地と併せると20寺ほどが現存している。この団地は寛永寺の管理のような立札があり、檀家を擁しているとは思えないところも多い。やはり残された霊園の檀家の力はあなどれないというところだろうか。