権現社には二種類あある。ひとつは三社権現(現浅草神社)や日光東照宮での家康のように一旦は仏となった偉人を神として祀ったものである。もう一つは、勧請から分祀という本来の手順を踏まずに高天原由来の神を一方的に祀った場合で、根津権現社こちらに該当する。

 家宣は、父親の綱重(5代将軍綱吉の兄)が甲府藩主になった(同時に綱吉も舘林藩主になった)翌年に、現在の根津神社の地にあった甲府藩江戸屋敷で、江戸妾の子として生まれた。家宣の産土神がどこにでもある権現社であることや土俗的な風習によって胞衣を玄関先に埋めたことなどは江戸町人の娘だった母親の意向と思われる。
 綱吉は長兄家綱(4代将軍)の死の直前に世継ぎになったが、その2年前に兄綱重は亡くなり、家宣は甲府藩主になっていた。綱吉は自分が世継ぎになる際の権力闘争を目の当たりにしたためか、自分の後継の安定についてはかなり配慮をした。家宣への世継ぎ決定を早めにして甲府藩を廃したうえでその江戸屋敷に幕府直営で根津権現社を移転造営した。