浅間社は、山岳信仰のうち、火山など大きな災害をもたらすことのある山への畏敬を背景とし、山頂付近に本宮を置き、麓に遥拝所を設けていた。
 富士山を遠望できる関東平野には、代表が行う富士登山を支援し、そのご利益を講仲間で享受すると言う「富士講」が普及し、遙拝所たる浅間社を造営したり富士塚を寄進した。 このシリーズでも宮司もおらず社務所も無かった近傍の浅間社を合祀した神社をいくつも見てきた。
 この富士浅間社が本郷の現東京大学、つまり加賀前田家の藩邸の位置から移転したことは図会でもコメントしている。私が通学中に大学の住所は「本富士町」から「本郷7丁目」に変わったが、旧地名は江戸の富士浅間社の宗家とも言うべきこの神社に由来していた。因みに警察署や消防署には「本富士」が残っている。