少し重い鋳物の鍋は、ものをじっくり煮込むのに向いていた。家庭の必需品であった鍋生産だけで大都市周辺には鋳物工場が栄えた。明治以降の工業化で需要の伸びた内燃エンジンの型枠生産も鋳物ならではの技術に支えられ、さらに発展した。
 キューポラは、鋳鉄用の小型溶鉱炉であったから、取り扱いを間違えるとすぐに火災になった。図会「河口鍋匠」の図に炎の揺らぐ向こうで鶏と遊ぶ子どもを描いているが、江戸時代の職人はそれだけ安全に自信が有ったのだろうか。
 映画「キューポラのある街」は、重化学工業政策で構造変化していく産業に携わる人たちの問題を捉えた社会派映画だった。一方で日活が吉永小百合・浜田光夫の青春コンビシリーズを始めた最初の作品でもあった。
 上映された昭和37年は、若い世代には昭和35年の安保闘争の余韻が強く残っていた時代で、16歳でひたすらけなげに生きる姿を演じた吉永小百合に多くの若者が惹きつけられ、第一次サユリスト世代が形成された。
 映画が描いている希望の一つに北朝鮮帰国事業が登場する。呑んだくれるよりなかった辰五郎(宮口精二)などの職人以上の悲惨な結果となったことが伝えられている現在、原作者、脚本家、映画監督とも他界しており、ことの評価を糺されることはない。
 映画ででジュン(吉永小百合)が克巳(浜田光夫)やサンキチと走りまわった街はマンション(鋳物工場跡地が多い)がいくつも建ち、街を眺めた堤防は大きくかさ上げされ、どこがロケ地だったかも判らなくなっている。