「白山上交差点」(五叉路)から中山道250m南の信号を西に入って50mほど平らで、その先は下り坂である。坂が始まる所に「浄心寺坂」の説明板があり、またの名を「お七坂」と説明している。
 「お七」とは、江戸時代に歌舞伎や講談のヒット演目になった「八百屋お七」のことである。寛政年間の歌舞伎役者の岩井半四郎が彼女の墓をこの坂の途中を右に入ったところに現存する「円乗寺」こ設けたことから、坂の別名が付いたようだ。
 お七が恋い焦がれた円乗寺の寺小姓吉三郎のその後については諸説あり、その中には天キ之部に登場する明王院(目黒雅叙園の場所にあった)の僧になったというものもあるとのこと。
 図会は、芝居が好きでなかったようで、かなりが史実の四十七士のことですら触れていない。ましてつくり話の可能性のあるお七のことは登場しない。
 齋藤3代の思いとは別に世の中は動くから、浄心寺の外形が失われてからは、別名の方がメインになっていくのだろう。

 私もこの坂をそのまま本郷通りに延長したところに現存している「浄土宗浄心寺」が図会の浄心寺と思い、当初より5年近くそのルートで紹介をしていた。親切なフォロワーを得て遅れ馳せながら書き換えた次第である。