初めて訪れた時、道に迷い、街の人に尋ねた。「ああ、小野照さんね」とまるで知人の家を教えるかのような応対だった。 この神社の祭神は高天原に籍のない小野篁である。小野妹子の子孫だった所縁なのか遣唐副使に任ぜられるが、正使と折りが合わず出発直前に腹痛として参加しなかった(そのため一時流刑される)。 私は百人一首の二択札「わだの原八十島・・・・・」の詠み人として遣唐使小野妹子を学ぶより前に知った。またこれも正月の遊びの花札の雨(6月)の20点札の絵柄の小野道風は篁の孫である。 図会は、上野寛永寺の場所(照崎)に聖堂(湯島聖堂の前身)を設けた際に足利学校に倣って堂脇に篁が祀られた、神社の伝えはそれより前、照崎に住んでいて慕われていた篁が亡くなって地域の人が祀り始めたとなっている。寛永寺建立に伴って稲荷神社に移転させられたという点は共通である。 ほかに図会で紹介している稲荷の祭神の使いの白狐の尾の先が夜になると光るので「尾の照先」だという説があるが、合祀を押しつけられた地元のメンツから生じた語呂合わせだろう。 |