図会の鷲大明神及び別当の正覚院についての記述は、次の点で現在の大鷲神社及び正覚院と異なっている。
その一 祭神:図会は産土神だから不明だとしながらも「本地は鷲に乗った釈迦如来」としている。現在は大和武尊である。 その二 正覚院:鷲に乗っていなくても釈迦如来が本尊のはずだと思うが、現状は鷲王山を寺の山号とし、本尊は「不動明王」。 祭神と正覚院の本尊は、神仏分離令の影響と考えられる。いずれ習合が許される時代になったら「本尊=本地神」としようという当時の宮司、住職それに氏子(=檀家)の合意があったのではなかろうか。 なお、「酉の市」の発祥の神社であるが、賑わいの大半はこの市において行われていた賭博(闘鶏?)であった。しかし、幕府の辻賭博禁止令のため図会が記している「納むるところの家鶏を悉く浅草寺堂前に放つ」ことのほうが、メインになってしまい、足立区も7月の例大祭の獅子舞を文化財として扱うしかなくなっているようである。 |