現在の鍼術に用いられている技術を確立したのは、杉山検校で、彼は江の島の岩屋洞窟(江の島へ遊びに行ってもここまで行く人は少ない)の弁財天に祈願してこれを修得した。以後お礼に毎年江ノ島詣でをしていた。
 盲人の自立への功績を讃えて将軍綱吉は、隅田川左岸の邸宅と危険な旅をしなくて良いようにと弁財天像を与えたという。検校は、改めて江の島に詣でて勧請をして弁財天社を設けた。
 境内の岩屋は、隅田川左岸に岩屋があったはずはなく、検校が勧請に際して堂宇に祀ったのでは安易すぎるとして設けたものであろう。
 明治以降「江島杉山神社」となったのは、通常の弁天様とは意味が違うという氏子たちの気持ちからであろう。ところで「江島」はエシマと濁らずに発音する。
 西向きの本殿前の鳥居には、昭和末期から平成にかけての都知事の筆の額があるが、木製のようなのでいずれ掛け替えられるであろう。