「匝」はソウと読み、【市の上の突出をとった字】(「之」の篆字を上下ひっくり返したもの)と元の「之」とを一緒にした字から生じ、「行き・帰る」つまり「めぐる」という意味である。
堂の入り口から入って螺旋上の斜路を上がっていき、上り詰めるとそのまま下りの斜路になり、入り口とは反対側の出口になるという構造の建造物である。
一番上まで1回転半しており、上下合わせて3回転するが、斜路の壁に西国、坂東、秩父の観音像のミニチュアを祀ったことも「三」が使われた根拠であろう。
三国の像をまとめて拝める「百体観音」の仲間ではあるが、100年以上前に松雲禅師が造った東西の羅漢堂が履物を脱いで回る廊下とその外側から草鞋のまま回る通路との二重構造になっていたことがヒントであったのではないだろうか。
「ミメグリ」と言っても良かったのだが、三匝堂が造られたとき四節前の向島で登場した「三囲稲荷」があったので、この字にしたのだろう。
羅漢寺で建造されて以来、全国各地の寺に普及し、滑らかな旋回のために六角形や八角形であった。円形に近くかつ螺旋していることから「さざえ」の名が付いた。
しかし、滅失した羅漢寺のものを含め多くは四角い堂の中に斜路(一部小階段)を設けたものだった。
これに対し現存する会津の三匝堂は、斜路にしっかりした外壁を付けて螺旋構造を剥き出しに見せたもので、重要文化財に指定されている。
現羅漢寺で「さざい堂法要」が行われているとの情報があったので、尋ねようとチャイムを押したが、何の反応もなかった。
入り口の左に、将軍家に初めて降嫁した高蔵院顕子の墓碑があったが、その由来も表示されていなかった。