ここまで私の文でも用いてきた「北上」とか「南下」という言葉は、地図が北を上にして表現されていることから生じている。地図のための正確な測量が子午線を目安にして行われたためで、井能忠敬の大日本沿海輿地全図も北を上にしている。
 しかし、市中に出回っていた切絵図などは、方位が定まっていなかった。題名をつけてあるものの多くは西が上であった。これは上方、京都のある方向が上ということでる。
 雑学ついでに世お道に逸れると、「くだらない」という言葉も、我が国の工業都市の京都で、「出来の悪い品物は消費地の東(あずま)へは下っていかない」という意味で使われ始めたとのことである。
 
 さらに切絵図には実用的なアイデアがあった。それは各宅地に住人や施設の名を振るときに、入り口(正面)を上にして宅地の内部に向かって書き下ろすことであった。街区一つを境内とする寺社や大名屋敷はもちろんウナギの寝床のような通り抜け宅地でも便利なルールである。
 現代の地図にはこれがないため、入り口を探してぐるっと一回りという経験のある人も少なくないと思う。
 本節に登場した横川が南北の水路で、後で出てくる竪川(たてかわ)が東西の流れであるのもこのような背景があったのである。