神社は、遠方の氏子、信者のために出張所を設けてきた。原則として「摂社」はご神体のコピーを置き、「遥拝所」や「御旅所」は祭壇とお札程度しか置かなかった。
コピーされたご神体を造るときに、新たに宮司や別当を配すると「若宮」として扱われた。原則として「若宮」の祭礼は本宮と同じ日に行われ、神輿や宮司が本宮に出向くなどの形態を取った。
独立して祭礼を行うためにはいわば分霊型の分祀である勧請を本宮に願い出て、新たな社殿を造営(初期は小さな祠が多かったようだ)を行った。明治以降合祀令が出て個人の勧請は認められなくなったが、
江戸時代までは、分限者が個人の屋敷内に勧請することは当たり前のことだった。要するに室内の神棚が発展しただけなのだから。