墨田区役所とアサヒビールの街区は、その大部分が浩養園という大名の庭園(一般開放されていなかったためか、図会は紹介していない)であった。明治以降その敷地にアサヒビールの工場ができ、周辺の廃業になった瓦屋などを買い進んだ。
 例によって都心の工場が不合理になり、再開発と称してのビルプロジェクトが行われた。奇抜なデザインのスーパードライホールとビル上部にビールの泡をイメージさせる外装を施した本部ビルが目立つ。
 ビールの販売利益だけで成し遂げたプロジェクトに見えるように仕掛けてあるが、街区の4割以上を墨田区役所へ、2割を生き残りに必死で「都市基盤整備公団」と名前を変えた旧日本住宅公団へという税金投入なしには成り立たない不動産取引があってのものである。
 バブル経済期の最後の年ともいえる平成元年に竣工した。
 異論はあろうが、中曽根内閣の民活推進の時期に計画されたものであったから、自社不動産部門による賃貸ビルという選択もありえたのである。泡の専門会社であったから、経済がバブリーであることを十分把握していて、音痴な役人どもを手玉に取った会社としての成果ではある。