大工が使う直角に曲がっている物差しを曲尺(カネジャク)という。ここの川の流れが直角以上に大きく曲がっているので「曲(かね)ヶ淵」と呼ばれていたのが「鐘」に置き換えられたのだろうと思い調べたら、
向島に住んでいた幸田露伴が「水の東京」で同様の考察を行っていた。 図会が国府台でも記している領主の指示で寺を移そうとして船で運ぶ途中で落としたという伝承は後のこじつけである。 明治19年ここに発祥し、地名を社名とした鐘淵紡績株式会社は、戦前は現在のトヨタに相当する日本の産業をリードする企業だった。トヨタ本家の豊田自動織機は、この会社との取引で成長した。 昭和46年に「鐘紡」と短縮し、草創の本業である繊維部門を縮小して合理化に努めたが、大企業病は創業100年頃から目立つようになった。21世紀入りを機に「カネボウ」に社名変更をして心機一転を図ったが、 平成16年に産業再生機構入りとなった。その後2000億円もの粉飾決算が、監査法人の関与の下行われていたことが判り、東証上場は平成17年に廃止された。 健全だった化粧品部門は、かつての追随企業だった花王の子会社に移った。使っている化粧品の名がなぜ「kanebo」なのか知らない世代によってこの会社は支えられている。 |