図会は、川向こうの現東篠崎に在った神明宮を遷座したこの場所に金海法師が1614年に開いたのが金剛院だがすでに廃址であると書いている。出入りしていた羽黒山の 山伏の行と徳が高かったので地名になったと書く一方で、葛西志という古書の寺の開祖が行徳という名だったという説も紹介している。