図会は、真間を用いた地名ごとに解説し、万葉集と後世の和歌を紹介している。 【真間の浦】弘法寺の前の水田の地であり、別称勝鹿の浦。 ・葛飾の 真間の浦まを 漕ぐ舟の 舟人騒ぐ 波立つらしも(/万葉集) ・かつしかの 真間の浦わの 沖津洲に あけのそは舟 からろおすなり(俊頼/夫木抄) ・かつしかの 浦間の波の うちつけに 見そめし人の 恋しきやなぞ(道隆/続後撰集) 【真間の濱】真間の浦と同じと推測。 ・汀なる 芦のしをれ葉 吹きさやぎ 氷もよほす 真間の濱風(為家/夫木抄) 【真間入江】是も同じと推測。 ・葛飾の 真間の入江に 打ち靡く 玉藻刈りけむ 手児名しおもほゆ(山辺宿禰赤人/万葉集) ・くもりなき 影もかはらず 昔みし ままの入江の 秋の夜の月(為教/続千載) ・忘れなじ ままの入江の みをつくし 朽ちなば袖の しるしのとも見よ(詠み人しらず/夫木抄) ・かりそめの ままの入江の 玉がしは そことばかりの 行くへだになし(光俊/夫木抄) 【真間おすひ】「おそひ」は「お・沿い」で山沿い、海沿いのこと。海沿いは磯辺との本居宣長の説を紹介 ・葛飾の 真間の手児奈が ありしかば 真間のおすひに 波もとけろに(/万葉集) 【真間継橋】両岸から板を差しかけて継いだからとの説を紹介 ・あのおとせず 行かむ駒もが 葛飾の 真間の継橋 止まず通はむ(山辺宿禰赤人/万葉集) ・勝鹿や 昔のままの 継橋を わすれずわたる 春がすみかな(慈円/新勅撰) ・五月雨に 越え行く波は かつしかや かつみかくるる ままの継橋(雅経/風雅集) ・かつしかの ままの浦風 吹きにけり 夕波越ゆる よどのつぎはし(朝村/風雅集) この歌の「よど」は淀川でなく「淀み」のことと解説。そして最後に図幅にある日蓮の歌(略)を紹介。 【真間手児奈旧蹟】手児奈の言い伝えのうち清輔奥義抄の説を紹介 ・ 過勝鹿真間娘子墓時作歌 古に在りけむ人の しづ幡の 帯解き替えて 蘆屋立て 妻問ひしけむ かつしかの 真間の手児名の おきつきを こことは聞けど 真木の葉や 茂り有るらむ 松が根や 遠く久しき 言のみも 名のみも吾は 忘られなくに 反歌 吾も見よ 人にも告げむ 葛飾の 真間の手児名の おきつきどころ(山辺宿禰赤人/万葉集) ・ 詠勝鹿真間娘子歌 鶏が鳴く 吾妻の国に 古に 有りける事と 今までに 絶えず言ひ来る かつしかの 真間の手児奈が 麻衣に 青ぶすま着て 直さまを 裳にはおりきて 髪だにも 掻きは梳らず 履をだに はかで行けども 錦綾の 中につつめる いはひ児も 妹にしかめや 望月の 満てる面わに 花のごと 笑みを立てれば 夏虫の 火に入るがごと みなと入りに 船こぐ如く ゆきかくれ 人の言ふ時 幾時も 生けらすものを 何すとか 身をたな知りて 浪音の さわぐ湊の おきつきに 妹がこやせる 遠き代に 有りける事を 昨日しも 見けむがごとも おもほゆるかも 反歌 葛飾の 真間の井見れば 立ちならし 水くましけむ 手児名しおもほゆ(高橋連虫麻呂/万葉集) ・ 下総国相聞往来歌 かつしかの 真間の手児奈を まことかも われによすとふ ままのてこなを(作者未詳/万葉集) 【真間井】 高橋連虫麻呂の上の反歌を再掲しているほか ・かつしかや ままの井づつの かげばかり 去らぬ思ひの あとを恋いつつ(入道摂政/?) 万葉の時代ですら高橋連虫麻呂が詠ったように手児奈は「遠き代の」アイドルだった。山辺赤人の歌も、松が生えている遠浅の海岸では手児奈が 身を投げた場所らしくないと言っている。次節の里見公園の脇に張られた明治初期の錦絵では依然として真間の入り江は継橋を取り巻いている。 わざわざ 「イメージの世界だよ」と断らなくてもだれもが許してくれた長閑な時代は、万葉の時代から明治初めまで千数百年に及んだ。 われわれは正直な表示をしないと許されない時代に生きている。長閑な時代の十分の一の期間での激変ぶりからすると、長期展望が嫌いではない私にも展望の自信が揺らぐ。 |