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FONT size="2" color="#000080">  鏡石について図会は、根の深い石と書いている。暗渠化の際に障碍になったに相違ない。絵のとおりの位置ならば爆破しなくても水路を少し曲げれば良い。道路の下から聞こえてくる水音は水路が曲がっているからではなかろうか。
 後日京成市川真間駅のハギレ地に移されて(?)いるとの情報で訪れてみたが、とても根が深かったとは思えない。頂部の形も図会とは異なる。京成電鉄にもキチンとした記録が無いようである。邪推すれば、地表部を破壊してしまった土地改良事業関係者が、良心に耐えかねて自邸の雨だれ受けの石を京成電鉄に提供して事を収めたとも思える。
 この道標は左右の側面にも行き先を彫ってあることから、道の分岐点に設けられたものである。昔から現在位置にあったとすれば、アパートの東の左へ行く心もとない道が左側面に彫られた弘法寺への道で、引き続き持国坂を上っていくのが右側面の六所神社(当時は千葉商大北のスポーツ公園内の位置にあった)への道となる。
 道標は開発に伴って動かされることが多く、表面に彫られた「国分寺・・五町」は、国分寺の坂下からでも十分に六町はあるので、本文で迷い易いと書いた50m戻った分岐にあったものが動かされたとしてもおかしくはない。