木下(キオロシ)は利根川銚子河口から約80km上流の河港で、江戸への奥州の産物の多くがここで陸揚げされた。現鎌ヶ谷市を経て高石神社近くの鬼越で千葉街道(舟橋街道、佐倉街道とも兼用)に合流して行徳湊へと陸送されていた。狭義には木下〜鬼越までが木下街道だが、行徳までは舟橋街道とも行徳街道とも適宜重複して呼んでいたようだ。
 奥州の産物は行徳湊からは上総の産物とともに新川・小名木川を経て日本橋河岸などへと小型のチョキ舟で江戸市中に届けられていた。
 また、奥州との間の旅人が通う道筋でもあった。