江戸名所図会自転車探訪(説明のページ)

江戸名所図会とは
 江戸名所図会は、全7巻20冊に及んでいる。出版は、天保3年(1832:前3巻)と天保7年(1836:後4巻)に分けて行われた。
 当時予め出版許可が必要で、許可を得たのは神田雉子町の町名主齋藤幸雄(長秋)であった。しかし、長秋は許可の翌年に67歳で死亡し、引き継いだ養嗣子の幸孝(莞斎)も出版に至らず許可から20年後の1818年に47歳で死亡している。つまり実際に出版したのは莞斎の子幸成(月岑)である。
 また、巻頭の推薦文で松平定常(6歳で因幡若桜藩主となり37歳で隠居し、文人として著名になった)が書いている都名所図会(1780刊)や摂津名所図会(1796刊)が先行しており、長秋はこれに刺激を受けたと言われている。しかし、長秋は予め幸孝(莞斎)を伴って大部分の個所の調査を終えていたようである。また、莞斎は頑健では無かったのと、出版ビジネスには精通していなかった様子がある。
 絵を描いているのは雪舟の流れを汲む長谷川雪旦で、雪旦は齋藤3代につきあった。齋藤親子の記述とよくマッチしている一方でコメントされていない絵があったり記述と食い違っているものもあるので別行動をとった可能性がある。また、後年は弟子の雪堤が手伝っていたとの説もある。
 記述は考証を尽くして俗説との書き分けをし、絵は正確な遠近法で精密に描く一方、省略すべき箇所には霞をたなびかせた単色刷りで見やすいが、錦絵以上に彫師を悩ましたといわれる図が1281枚(半紙版)使われている。
 19世紀前半に為政者から離れた立場の者が時代の文物や風俗を記録した例は他国に無く、そのことだけでもわが国の宝と言える。加えて内容も最も熟していた江戸文化を広範な区域にわたって記録しており、江戸時代の日本についての内外の研究者にとって貴重な文献でもある。
 初版ののち版が摩耗損傷したことに伴って文言や図版の一部が添削されたようである。また、天セン(玉偏に「旋」)之部の「白旗八幡宮」及び玉衡之部の「犬追物上覧地」の記述と揺光の之部の「半田稲荷社」及び「猿江麻利支天祠」の図版には来由(詳)は拾遺と書かれており、「拾遺之部」を発刊する方針であったことが示されている。しかし、木版は明治5年のものが最後で「拾遺之部」は今日に至るも発見されていない。

 畿内の図会に準ずれば「武蔵」名所図会とすべきである。しかしすでに江戸の街は下総に属していた向島、本所、深川そして葛西に連なっていたばかりか、江戸川の向こうの真間や行徳、船橋(いわゆる東葛地域)までもが江戸町民の活動圏になっていた。一方で江戸城を中心に据えたとき、同じ武蔵国とはいえ、独立の藩が存在していた川越以北を「御城下」のように扱うことは憚られた。
 その結果、広義の「江戸」を図会の範囲としたと考えられる。それは、現在の東京の通勤電車の重要運行区間とほぼ一致している。
 また、編成順は下記の通りで、巻の番号は現在の首都高速道路の路線番号と同様東海道沿いから始まって時計回りになっている。
  巻一 天枢之部:江戸城(皇居)〜高輪(現品川駅)
巻の名前の雑学へ
  巻二 天セン之部:品川宿〜横須賀
  巻三 天キ(玉偏に「幾」)之部ルート1:山王(現国会付近)〜上野毛
      同    ルート2:赤坂見附〜世田谷〜登戸〜武蔵小杉
      同    ルート3:四谷〜調布〜日野〜菅(現川崎市)
  巻四 天権之部ルート1:市ヶ谷〜大久保〜小金井
      同    ルート2:神楽坂〜高田馬場〜雑司が谷
      同    ルート3:小石川〜所沢(狭山)〜大宮
  巻五 玉衡之部:神田〜川口
  巻六 開陽之部:浅草〜竹之塚〜今戸橋(リング状に巡っている)
  巻七 揺光之部ルート1:深川〜松戸
      同     ルート2:行徳〜船橋

 一連の名所図会がいずれも好評を博したのは、当時仕事を差し置いても旅行することを容認する社会があり、かつ平和であった証拠である。江戸名所図会の範囲は現在でこそ電車、自動車での日帰り圏だが、瑞穂町の箱の池などは当時は片道でも二日がかりである。しかも名所を訪ね歩いたのは男ばかりでなく、女性が多く含まれている。「入鉄砲に出女」をチェックする関所や木戸が有ったにもかかわらず、比較的自由に行動する上でこの図会は大きな役割を果たしていたと考えられる。
 関所などのチェックは、「寺社詣で」には寛大であった。しかし、役人のほうも立場上虚偽の申し出をチェックするために行き先の寺社の宗派や祭神を尋ねた。庶民のほうは、予め名所案内で本当の目的地の近くの寺社についての予備知識を得て、役人の尋問に備えたのである。
 神社仏閣について小さな祠やお堂に至るまで詳細にとり上げられて祭神、祭日、宗派等が詳細に記述されているのは、結果的にこのようなニーズにも応えていた。

凡例
 探訪順は、巻末からとした。探訪を始めたのはリタイア年齢が迫っていた時期だったから、リタイア後に我が家から一番遠い 巻末の東葛地域を巡るよりは勤め先に自転車を置いてあるうちに廻っておこうと考えたからである。リタイアで一巡に要すると考えていた時間は短縮されたが、3年8ヶ月かかった。 自転車de雑学シリーズの第V部から第\部を当ててアップしたが、一巡してみると独立したシリーズに再編したくなった。
 再編のポイントは、@ 現場から離れた解説や雑学をサブウィンドウ化して本文字数を減らす。A イメージマップを全篇に採用する。 B 里程表を付ける。(名所旧跡の訪ね歩きもブームになっており、ウォーキングの参考になればと思う)C 図会の原図をサブウィンドウ化する。という方針で表現の統一を図ることにした。
 下の表がその主だったものなので、ご理解いただきたい。(以下「江戸名所図会」を単に「図会」と書くのを原則的とする。また、図会の記述順を単に「正順」と表す。)

T 文字の使い分け
表示説明
標準字体現場の雑学及びスキップすると後の記述が理解しにくくなるのでぜひ読んでいただきたい部分
正位太字図会の記述の引用
正位太字図会に描かれかつ記述されて現存するもの(同一地域内の移転・統合を含む)
正位太字図会に描かれて現存するもの<記述されていない>(同上)
正位太字図会に記述されて現存するもの<描かれていない>(同上)
正位太字図会に登場し、移転、統合などして別の場所に存続しているもの(登場の色分けは上3種に準ずる。写真は移転統合先で表示)
斜体太字図会に登場するが現存しないもの(登場の色分けは上3種に準ずる。碑、説明板のみのものを含む)
斜体太字図会に登場するが現状を把握できていないもの(登場の色分けは上3種に準ずる。)
小さい藍色の字スキップしても後の理解に大きな影響を与えない部分
○○の雑学など現場の事物から離れた雑学などの説明(クリックで別ウィンドウ表示)
図会の図版名図会の図版(クリックで別ウィンドウ図示:移転等は旧地のページに収録)

U イメージマップ
表示説明
現存している名所等(ポインタを置くと名称がポップアップ。)
跡地等(点線の円。ポインタを置くと名称がポップアップ。)
クリックで写真表示(別ウィンドウ)
クリックでその施設のサイトへリンク
橙色がルート
(例)左下から右歩道で来て車線区分のない道へと右折し、突き当たりの名所を訪れた後、門前を右折して広幅員道路に出て渡って右に進み、分岐路を左に入っていく。
車線区分がある道路
車線区分のない道路
(例)東西は歩車区分がある道路。南北は歩車区分の無い道路。東寄りの南北の道路(点線)は、車両が入りにくい道路
鉄路
(例)北側から、モノレール等特殊軌道、JR線、その他の地上鉄道。グレイのブロックは駅舎(ポインタを置くと名称がポップアップ)
水面

 他の地物によって表示できない名所等は外から矢印で示し、本来の位置でポップアップする。
 トンネルなど地上にないものは表示していない。
 小さなものは統一せずに●などそれぞれの現場に合わせた表示をし、名称をポップアップさせる。


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