前節の最後に入った路地は向こうからの自動車一方通行で、かえって自転車には安全である。道なりに進むと、三原台通りという歩道拡幅が進行中の東西の道路に出る。これを右折して右手がセブンイレブン(右図7)になったらその先を右折する。
400m先のこの道から石神井明神祠(現石神井神社:右図)へ曲がる角には、60cmほどの緑色の石が置かれている。図会が描いた百姓の腰掛けている石がこれではないかと思わせる。神社の立て札には「石の神で石神神社とも言う」と書いてあった。
井戸を掘ったら青い霊石が出たのでこれを祀り、「石神井」の地名の起こりとなったことも書かれている。
戻って南へ向かうと西武池袋線になり、
踏切注を渡って駅前商店街の信号のある交差点を右折して進む。
注:一旦出直した場合の石神井神社へのアプローチは、西武池袋線石神井公園駅南口に出て右の交番の裏に回り込んで線路沿いに出る。広い道に出て、左の信号の手前を左クランクに入って踏切を渡って進むと左図下に出てくる。
そのまま道なりに(西南西に)進むと右図の右上に出てくる。
左折すると三宝寺池(右図@)と石神井池の間になるので右歩道に渡り、園内をに入ると自転車置き場があるので、ここに止めて時計周りで池一周の散策をすべく歩き始めたら、自転車を引いている人がいたので倣った。
池の南の小高い林が、豊島氏の最後となった石神井城址(右図A)である。図会で大手と称する辺は水田とあるのは、池と岡の間のことだろうか。現在では南の岡に木が繁って稲はまともに育ちそうもない。池辺に降りると小さな中島が二つ並んでいて右(東)側が、水天宮と弁財天(現穴弁天:右図B↓先)である。西の島の厳島神社のほうが整備されているが、図会には記述がない。
池の北側の日当たりの良い場所も疎林になっている。その間に照日塚(現姫塚:右図C↓先)がある。そのすぐ東に殿塚というのもあり、ペアで照日塚なのかもしれない。
池には多くの水鳥がいる。中には外来種と思われるようなものも見かけたが、保護区になっており、多くのウォッチャーがカメラを構えている。
公園を出て南に進み、石神井小学校前という交差点で右折する。200mほどで三宝寺(右図D)である。境内に稲荷祠は残っているが、八幡宮はない。替わりに新しい大観音石像がある。
寺の前の交差点を左前方に進んで100m余りで右図の下半分の右寄りになる。そのまま進んで道が右に曲がる手前を左に入り、石神井川(図会では関川)を渡り、川沿いに入る。左の急斜面の上が城山(愛宕権現宮)(右図E)である。太田道灌が石神井城を攻め落とすときに陣を敷いた場所とのことで、現在は昭和25年に新宿区の早稲田キャンパスから移転してきた高等学院の敷地になっており、事前に連絡をすれば構内に入れるとのことである。
図会では愛宕権現を三宝寺の本尊の垂迹としている。現在その名は右図左端の石神井川の橋に痕跡を残すのみである。
図のように学校の正門(ルート最南部:西武新宿線上石神井駅は南400m)に上がって左回りで戻って直ぐのところに真北に伸びる氷川明神(現石神井氷川神社:右図F)の参道入り口がある。神社の境内は石神井公園と一体になっていて、三宝寺池のほうに抜けられる。
神社前を左(東)に進み。鬱蒼とした石神井城址と三宝寺の間を下り、公園寄りに車の殆ど通らない道をのんびりと辿っていく。石神井池の東の石神井公園前の信号で道を渡り、都営住宅団地を抜けて笹目通に出る。