本編のスタートは京浜急行電鉄横須賀中央駅である(左図左下)。駅前通りを左に行き、最初の交差点を右折、ぶつかって左クランクに進むと横須賀警察署のところで横須賀街道(国道16号)に出る。これを左に行き小川町交差点を渡る。変形五叉路で信号が複雑なので、タイミングによっては右歩道で渡った方が早いこともある。
渡って前に入ると北側に学校の並ぶ三笠公園通りにぶつかるので右折する。
学校の先の公園の海岸には日露戦争日本海海戦の旗艦であった三笠が置かれており、その反対側(右)に三笠桟橋がある。ここから猿島への連絡船が出ている、夏の海水浴シーズン以外の平日は閑散としている。
図会天セン之部の最後の名所の記録は、猿島と裸島で、地理的にはこのどちらかが最南端である。
後者は、全く手掛かりがないが前者は現存する。しかし五丁四方ばかりといいう記述に対し、南北はほぼそのとおりだが東西は半分もない。
右の「経緯など」に書いた曖昧さを無人島に渡ってまでして解明することはその道のプロに委ねることにして乗船せず、猿島が最も良く見える場所を探した。三笠桟橋から戻って直ぐを左折すると左が新港埠頭だが、道路は港湾施設扱いで適当に遮断されたりしているのでパスした。横須賀港の各埠頭をつないでいる「よこすか海岸通り」を1km程行った左にある「うみかぜ公園」が猿島に最も近そうなので、島の遠景写真を含むイメージマップを左図右下に挿入し、そのコースは左図中で虎斑で示した。
うみかぜ公園から次へは同じ通りを戻って上述の小川町交差点で横須賀街道に入るのが良い。
「横須賀まで来てこれだけ?」という向きには、ついでに観音崎や浦賀を周遊するコースをお勧めする。走水への登り坂で振り返って猿島を眺めると島の南北が長いのが判る。ウォーキング専門の方、とくにかつての横須賀を知っている人には、街中ウォッチングでその変貌(山口百恵・宇崎竜童ですらいかに古くなっているか)を実感することをお勧めする。
三笠桟橋から直接深浦港へは、三笠公園通りを戻ってそのまま進み、米軍横須賀基地入口のところで左折、横須賀街道に出て右折する(以下8kmほどはルート図示を省略)。一つ先の信号を左クランクして入る通りは「ドブ板通り」である。相変わらずのスカジャン、アーミールック、サバイバルグッズの店やスナック喫茶でがんばっている店があるが、跡地やシャッター閉め切りが増えており、英語の看板は少なくなっている。
通りの突き当りのEMクラブ(旧海軍士官休養所)跡の再開発は、計画段階で少しかかわりのあった私が懸念した通り、市の重荷になっていることを感じさせる。横須賀街道の横断歩道橋も、好意的には旧海軍のガントクレーンをイメージしたデザインのように見えるが、この道を走るドライバーの99%には意味不明であろう。
汐入駅前で横須賀街道に戻って高速道路沿いに右に入るとJR横須賀駅があり、その先はわが国自衛隊の横須賀基地で行き止まりである。横浜からは京浜急行よりも15分以上余計な時間をかけて200円近く高い運賃を払って乗る人は稀有で、まして地域外の大部分の人は間違って到着したら途方に暮れるだろう。
高速道路から離れてすぐにあるトンネルに始まって以下国道を離れるまでの六つのトンネルはいずれも分離型の一方通行なので、追い越す自動車は右車線を走ってくれて有り難い。トンネルがこんなにあるのは、東京湾に向かっての尾根があり、尾根と尾根との間が浦になっているからである。この尾根に沿って断層痕があり、南のものほど新しく地震危険度が大きいとの調査研究結果が発表されている。
フィリピン海プレートが地殻変動を伴って相模湾に沈みこむ度にこのような尾根が盛り上がったというように受け取れるが、そこまでは言い切っていないのはなぜだろうか。
六つ目のトンネルを抜けると、道は大きく左に曲がり、船越1丁目交差点になる。ここで右のバスが通う通りに入って道なりに進んで坂を登ると対面通行トンネルになる。注意してこれを抜けると先ほどとそっくりに道が左にカーブして右図の下部に出る。すぐの信号付き交差点を右に渡り、広くなっている歩道の先を右に入る。突き当りは小高くなっていて寺社がくっついて建っている。これを回り込んだ所が、榎戸湊(現深浦港:右図)である。狭い敷地に建物が建ち並んで直接海岸には出られないので、一旦バス通りへ戻って200m程先から右へ入り直すと湾の全貌が良く見える。
対岸にはヨットやプレジャーボートが係留されていている。先ほど通った道に建ち並んでいた建物群は、これらのボート所有者の別荘のように思えてきたが、確信は得ていない。
右図の範囲は、現在の住居表示では「浦郷」で、地区内の郵便局を始め店舗名などに「浦郷」が付けられている。図会の図版「浦の郷」(次節)は、ここ榎戸湊を埒外にしており、謎である。
再びバス通りに戻り、右折してトンネルを抜ける。