池のすぐ南西に大学関係者の通用門がある。キャンパスを去る分には構わないだろうとこれを出て道なりに山手通りに向かう。通りの手前40mほどを左から右に横切る直線状の道は、三田用水跡であり、目黒区と渋谷区の区界でもある。これを辿って井の頭線神泉トンネル西出口の上を通って山手通りに出て右歩道で松見坂交差点に戻り、左歩道に移る。
100mほど下ると左の擁壁に鉄骨の階段がへばりついている。少し先には大きな標柱が立っていて「大教寺」の文字がある。この階段が本篇世田谷南西部の常光寺「図会の混同」で触れた大教寺(左上図B:)の入り口である。ガードレールに凭れて見上げるとかろうじて山門の屋根が見える。イメージマップの写真は山手通りの反対側から撮ったもの。明治後期に駒沢からの移転ということから、戦後の新山手通り整備で緩やかな上り道がごっそり道路用地になったと推察する。
池尻での姿に較べると急に成長して両岸に桜並木ができている目黒川の左岸に入る。前々節の寿福寺前から都心方向に下りてきた野沢通りは50mあまり左の信号まで行って戻る(右図左端)のがルールだろうが、歩行者も山手通りの信号に合わせて渡っている。これから二つ目の左路地を入って直ぐ右折すると、天満宮(現北野神社:右図@)がある。図会の時代には、右図Bの現西郷山公園の位置にあった。西郷従道が邸宅を構えるに当たって現在地に移転させられたものである。
街区東の道を左折して、代官山へ上がっていく。自転車を押して上がるしかない急坂で、途中から少し楽な右手のエジプト大使館裏の道を図示したが大差ない。旧山手通りに出て右折右歩道で行く。デンマーク大使館の先のヒルサイドテラスプロジェクトで真ん中に残された去我苦塚(現猿楽神社:右図A)の立て札には、元来は古墳だが100年ほど前に神社になったと書いてある。長者がここで催した酒宴が我らの苦を去らせるとのいわれと図会に書かれていることには触れていない。
旧山手通りを玉川通り方面に戻る途中再び野沢通りを渡った左手に天満宮の旧地と上述した西郷山公園がある。玉川通りとの交差点が次節との結節点の神泉町交差点である。
平成20年の探訪では以上のように旧山手通りを戻った。その後5節後の「赤坂」で不明としていた松泉寺が現恵比寿南に移転していたことが判り、猿楽神社から旧山手通りを南下する。
猿楽神社から150mほどの鎗ヶ崎交差点で駒沢通りに出る。これを恵比寿方面に左折するが、この交差点の信号を含む3つの信号のいずれかで右歩道に渡り、左下図左上に出る。セブンイレブン、ローソンとコンビニが続いた先を右に入り、猿楽神社から1kmほどの左下図の位置に1900年に赤坂円通寺坂から松泉寺が移転してきている。道路側の会館の東の狭い入り口奥に隠れるように建てられている本堂の前10m足らずまで墓地になっていて、盆や彼岸の墓参りはさぞ混雑するのではと思われた。
松泉寺からJR山手線の恵比寿駅改札へは左下の図のように500mほどで到達し、メトロ日比谷線の恵比寿駅はその先50に入り口がある。
また、左下図右下部の→先の交差点を左歩道南下200mで、目黒駅周辺の節の冒頭で紹介する千代ヶ崎の図の茶屋坂になる。